花窈堂

『邦楽アレンジシリーズ』の歌詞文語アレンジの人:萬月邸の作詞担当・芙雪(綾部ふゆ)のブログです。

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Posted by 芙雪(綾部ふゆ) on

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【傷林果 - それっぽく歌ってみました】ミリオン達成致しました!

Posted by 芙雪(綾部ふゆ) on


前回の記事で高らかに「ブログをお引っ越しします!!!!」と書きましたが、
2016年春から、活動によって名前を分けることにいたしました。
佳館杏ノ助とのユニット「萬月邸」としての活動では「芙雪(ふゆ)」と名乗りますので、
どうぞ、変わらずゆるっとお付き合いくださいませ( ´ v`)
詳細は、お仕事用ブログの方にも書いております〜!

▼ 🌙 お知らせ 🌙 - 綾部ふゆ 公式ブログ
http://lineblog.me/ayabefuyu/archives/57756327.html

さて、そんなこんなで、再び花窈堂も更新することに致しましたが、
(実家のような安心感 \\└('ω')」//)
更新第1回目のお知らせは、こちらです!


【それっぽく歌ってみました】邦楽BadApple!!-傷林果-【杏ノ助】が、
ニコニコ動画で100万再生を突破いたしました……!!






youtubeでも沢山の方にご視聴いただき、本当に嬉しいです。
この動画を投稿しなければ、今の自分はここにいなかったと思います。
杵家七三社中の皆さんの動画を杏ノ助が視聴して、
「芙雪ちゃん!すごいの見つけた……!」と、興奮気味に言ってきたことを、
今でもよく覚えています。

『傷林果』を経て『和楽・千本櫻』などの和楽シリーズに参加させて頂いた経験は、
数年経った現在でも私の中に焔のようなものとして存在していて、
私の創作の原動力のひとつになり続けていることは間違いありません。
和楽器や邦楽の美しさや奥深さ、難しさ、
日本語という言語の面白さに、今もなお魅了され続けています。

また、この動画がきっかけでご一緒させて頂くようになりました、
杵家七三社中の皆さまや、第一線でご活躍中のクリエイターの皆さまと、
今もなお良いご縁があることを嬉しく思っています。

これからも、「表現する」ということに向かって進んでいきたいと思いますので、
今後とも、何卒よろしくお願いします。




……と、いうことで!
今年も参加いたしますよ!\ニコニコ超会議/─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ

今回は、初めて「THE VOC@LOiD 超 M@STER34」の方でサークル参加いたします。
頒布物は、改めてお知らせ致しますが、杏ノ助の新しいCDを持っていく予定です。
こちら、作詞を担当いたしましたので、折りを見てそちらのお話も書こうかなと思いますよ!
もうちょっとしたらクロスフェードも上がると思います!

◇ THE VOC@LOiD 超 M@STER34
◇ 参加日程:2016年4月30日(土) ※2日目ですのでお間違えなく!
◇ 開催場所:幕張メッセ展示場1〜11ホール『ニコニコ超会議2016』内
◇ サークル:34・う09-10【萬月邸】
◇ 公式サイト:THE VOC@LOiD 超 M@STER34


その他は、在庫がまだあるので、以前に頒布した短歌入りのポストカードを持って行こうかなと思います。
詳細が決まりましたら、改めてお知らせいたしますね。

【お知らせ】ブログをお引っ越しします

Posted by 芙雪(綾部ふゆ) on


いつも花窈堂にお越しいただきまして、まことにありがとうございます!

急なお知らせになりますが、
ご縁がありまして、本日よりLINE BLOGさんでブログを書かせていただくことになりました。


▼ 綾部ふゆ オフィシャルブログ
 http://lineblog.me/ayabefuyu/



このブログを始めたのが2009年(!)、あっと言う間のような、
そうでもないような!?感じの6年でした。
沢山のご来訪、本当にありがとうございました。

過去の記事はお引っ越し先に転送してありますので、
こちらのブログは「文語調歌詞解説」以外のページを削除予定です。

また、上記の通り『文語調歌詞シリーズ』の解説文は、
引き続き、こちらのみで読めるようにいたしますので、
動画のリンクから飛んで「エッ、ページがないけど!?」ということにはなりません。
どうぞご安心くださいね( ´ v`)


お陰さまで、夏以降には色々とお知らせができそうです♪
どうぞお楽しみに!


それでは、新たなブログでお会いしましょう!
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

『和楽・紅一葉』歌詞解説と意訳|文語調歌詞担当:綾部ふゆ

Posted by 芙雪(綾部ふゆ) on

 
こちらの記事には、11月21日にavexより発売されました『和楽花道中 杵家七三社中 傑作撰~ボカロ曲を演奏して戴いた~』に収録されております『和楽・紅一葉』の歌詞の意訳と解説を掲載しています。
原曲と比較して楽しんで頂けたら嬉しいです。
歌詞の文語訳を快諾して下さいました黒うさP様に、改めて御礼申し上げます。






今回は、歌詞アレンジのテーマに「大正浪漫」というものを盛り込みました。
黒うさPさんのイメージは「昭和とかその位」とのことで、大正浪漫の香りが色濃く残る昭和初期辺りも視野に入れています〜。
もちろん、『原曲の世界観やメッセージ性を保持する』というテーマが前提としてあるのですが、それに加えての新たな試みでした。
大正時代は、明治時代に起こった「言文一致運動」が浸透していき、書き言葉としての口語体が広がりを見せた時代です。
なので、『和楽・紅一葉』も、そんな風に、ちょっと文語、全体的に口語な雰囲気にしてみました。
同時代の詩人、作家らの文体を参考にしています。
『和楽・いろは唄』が江戸時代の郭言葉による恋の駆け引きだったので、こちらは原曲の通りにぴゅあっぴゅあな悲恋を目指しました。
上記の理由から、今回は解説も意訳もあまり必要ないかな〜?なんて思ってもおりますが、ご興味のある方は是非どうぞ。


今回も、まず初めに『和楽・紅一葉』の歌詞を掲載した後に解説を書かせて頂き、最後に意訳を掲載したいと思います〜。






『和楽花道中 杵家七三社中 傑作撰~ボカロ曲を演奏して戴いた~』収録
【和楽・紅一葉(振り仮名付き)】歌詞



吹きし恋風 ひらりはらはら
君の肩ごしに紅一葉
たゞ(ただ)寄り添へ(え)ば 心通ふ(う)と
薄雲のはたてに物ぞ思ふ(う)

瓦斯灯が照らしてた 遠くの笛の音 御神楽太鼓
ありふれた幸せは 銀座の柳が見てゐ(い)ました

いつか話さう(そう) 出会へ(え)た喜び
淡き愛しさ 知らずにゐ(い)た

吹きし恋風 ひらりはらはら
君の肩ごしに紅一葉
たゞ(ただ)寄り添へ(え)ば 心通ふ(う)と
薄雲のはたてに物ぞ思ふ(う)

穏やかに流れゆけど 時なく映ろふ(うつろう)誘ひ(い)し火影
過ぎ去りしものは全て 私の傍(かたえ)を離れません

日々を漂ひ(い) 願ひ(い)よ届けと
両の手合はせて(わせて) 落つる涙

胸に秘めたる 思ひ(い)出がある
君の肩ごし 桜紅葉
から紅に 水くゝる今 この愛を 永久に捧ぐ

吹きし恋風 ひらり舞ひ(い)散れ
今宵暗夜(あんや)を 紅く染めて
たゞ(ただ)寄り添つて(そって) 抱かれてゐ(い)たい
悲しみが 空に消えるまで






【歌詞の内容についての解説】


恋風(こいかぜ)
この言葉は『恋心のせつなさを、風が身に染みるのにたとえていう語』です。
こちらの意味に加えて、小杉天外(こすぎてんがい)という作家が明治36年に発表した、女学生・初野ちゃんが主人公の悲恋物語『魔風恋風(まかぜこいかぜ)』から単語をもらいました。
大和和紀先生の『はいからさんが通る』という漫画で定着した「リボンに矢絣(やがすり)の着物に海老茶袴、ブーツに自転車」という、明治・大正の女学生のイメージが出てきます。
『近代デジタルライブラリー』で読めますし、岩波書店さんからも出ていると思いますので是非。
つ『近代デジタルライブラリー:魔風恋風

薄雲のはたてに物ぞ思ふ
こちらは、平安時代前期の勅撰和歌集『古今和歌集』の484番目の和歌、
『夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ あまつそらなる人を恋ふとて』
を引用しています。誰が詠んだのかは記録に残っていません。内容からして、恐らく女性だと言われていますが、それも定かではないようです。
意味は『夕暮れ時は、雲の果てへ向かって物思いをする。手の届かない、遥か遠くのあのお方のことを恋い慕って』というものです。
この和歌を見付けた時は不思議な縁を感じたものです。和歌全体の意味が『紅一葉』にぴったりだと思いました。

瓦斯灯
『瓦斯灯/ガス灯』と言えば『大正浪漫』!
大正時代の東京は、公共施設などでガス灯が使われ、街灯が夜を照らしたそうです。
曲中の場所を特に定めているわけではありませんが、近代的な町並みと、江戸時代の面影が残る町並みとが混在していた時代をイメージしました。

銀座の柳
こちらも『大正浪漫』を導く単語として取り入れました。
関東大震災前である大正10年に銀座の車道の拡大に伴い柳が撤去されたようですが、それまでは柳が数多く植わっていたそうです。その後、大正浪漫の華やかさを未だ引き継ぐ昭和7年に、銀座を彩るシンボルとして二代目の柳が植えられ、その景色が多くの流行歌に取り入れられました。
『銀座の柳』については、中央区観光協会様や、民間の団体などが支援活動をしているようです。

から紅に 水くゝる今
こちらも『古今和歌集』に収められている在原業平(ありわらのなりひら)の和歌、
ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは
を引用しています。こちらの和歌はご存知の方もとても多いと思います。
平安時代初期のプレイボーイ、業平殿の才覚が余すところなく発揮されている歌ですよねぇ。
意味は『数々の不可思議なことが起こったとされている神々の時代ですら聞いたことがない。奈良の竜田川が、鮮やかな紅色の紅葉を水面に浮かべて(あるいは水面に映して)、水を絞り染めにするだなんて』という感じです。
ですので、こちらを引用したことによって、『桜紅葉が川の水を絞り染めにしている今』と解釈して頂けると嬉しいです。
ぴゅあな悲恋にこのザ・プレイボーイの歌を引用したのは、業平が、かつての恋人・藤原高子(ふじわらのたかいこ)に向けて詠んだという説があるためです。
この時、高子は既に時の帝の側室となり、二人の間には皇太子がいました。
いくらなんでも皇太子の母になった彼女に手は出すまい……と思うわけで、この時点で高子とは別れていたはずです。
そんな中で、美しい屏風を見ながら高子の前でこの歌を詠んだのですが、もしも彼が高子との関係を歌にさり気なく詠み込んでいたとしたら、鋭い機知による、かつての恋人に向けた真摯な歌かもしれないな、なんて思ったのです。
もちろん、真相はタイムマシンにお願いな感じですが(笑)、そんなことも含めて楽しんで頂けたら嬉しいです。

今宵暗夜を 紅く染めて
原曲では『暗夜』の部分が『闇夜』となっていますが、こちらは大正時代に発表された志賀直哉の長編小説『暗夜行路』から単語をもらいました。
小説の内容は『紅一葉』にリンクしないのですが、時代感を出したかったので引用しました。






以上が、歌詞の大まかな解説です。
お楽しみ頂けたなら嬉しいです。
では最後に、歌詞の意訳を掲載し、原曲の動画のご紹介などをして終えたいと思います。







【文語調に訳した歌詞の現代語訳(意訳)】


秋風のような恋心が舞い上がって、ひらひらとはらはらと、
君の肩越しで、恋風に乗った紅葉が散っていきます。
ただ君に寄り添えば、気持ちが通じるのではないかと、
(『古今和歌集』にある読み人知らずの歌『夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ』のように)
薄く広がっている雲の果てへ向かって物思いをします。


瓦斯灯が照らしていた、遠くで鳴る笛の音と、お神楽太鼓が響くお祭り。
ありふれた幸せは、銀座の柳が見ていました。

いつか話そう、君に出会えた喜びを。
胸に灯る淡い愛しさを、知らずにいました。

秋風のような恋心が舞い上がって、ひらひらとはらはらと、
君の肩越しで、恋風に乗った紅葉が散っていきます。
ただ君に寄り添えば、気持ちが通じるのではないかと、
(『古今和歌集』にある読み人知らずの歌『夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ』のように)
薄く広がっている雲の果てへ向かって物思いをします。


穏やかに流れてゆくけれど、絶えず私の前に立ち現れる彼の火影。
物事は移り変わって、過ぎ去ってしまうけれど、
それらは常に私の傍にあり続けます。

日々を漂いながら、願いよ、どうか君に届けと、
両手を合わせたら涙が零れました。


誰にも言えない思い出が、胸の内にあるのです。
君の肩越しに、色づいた私の思いのような桜の紅葉が、ほら。
(在原業平の『ちはやぶる神代もきかず竜田川』の和歌のように)
川を絞り染めにしている今、この愛を永久に捧げます。


秋風のような恋心に巻かれた紅葉、ひらりと舞い散れ。
今宵、暗い夜を紅に染めながら。
ただ寄り添って、抱かれていたい。
悲しみが空に消えるまで、ずっと、ずっと。






長々とお付き合い頂きありがとうございました!
最後に、原曲の『紅一葉』の動画をご紹介したいと思います。











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『和楽・いろは唄』歌詞意訳と解説|文語調歌詞担当:綾部ふゆ

Posted by 芙雪(綾部ふゆ) on

 
こちらの記事には、11月21日にavexより発売されました『和楽花道中 杵家七三社中 傑作撰~ボカロ曲を演奏して戴いた~』に収録されております『和楽・いろは唄』の歌詞の意訳と解説を掲載しています。
発売日から少し遅れての発表ではありますが、原曲と比較して楽しんで頂けたら嬉しいです。
歌詞の文語訳を快諾して下さいました銀サク様に改めて御礼申し上げます。






さて!今回も、いつものようにかなり長くなると思います!
皆さん、飲み物とかおやつとか用意してのんびりお付き合い下さいませー。


まずは、どのような意図で文語調に訳したのかという説明から。


今回は、いつもと同じく『原曲の世界観を保持する』というテーマの他に、『遊郭での色恋』というテーマを盛り込もうという事になりました。
原曲がとにかくフェティッシュでエロティシズム溢れるものなので、その雰囲気や勢いをなくさず、和楽の音色に合い、かつ、面白い要素を……と考えた結果です。
曲を聴いて下さった方は「なんじゃこりゃ?フシギな言葉遣いだなー」と思われたかと思います。
あれは、江戸時代から昭和32年まで東京に存在した遊郭『吉原遊郭(以下吉原と呼びます)』で働いていた女性たちが江戸時代に使用していた言葉遣いなんです。
例えば、『私の名前は鏡音でございます』は、『わっちの名は鏡音でござんす』になります。
ちょっとこう、なんと言いましょうか、気が強そうだけどしなっとしている、ぞくぞくするような言葉遣いなんですねぇ。
細かく見ていくと、時代によって一人称や言い回しにも違いがあったりするのですが、今回は江戸時代の戯作者(※江戸時代後期の通俗小説を書く人のこと)であり浮世絵師でもあった山東京伝(さんとうきょうでん)の『傾城買四十八手(けいせいかいしじゅうはって)』を参考にしてみました。
この言葉遣いは『ありんす言葉』や『郭言葉(くるわことば)』などと呼ばれています。
もっとザックリと端的に言うと、この言葉遣いは、特別な空間で、ふりふりのメイドさんに「お帰りなさいませ、ご主人さまっ(はあと)」と言われるとテンションが上がるのと同じ作用があるものです。


吉原は遊郭ですから、もちろん、男性がお金で一夜の恋人を買うというシステムです。
働く女性(遊女、女郎とも呼ばれます)たちにはランクがあったり、所属している見世(みせ)によって個性があったりするわけですが、共通する認識というか、遊郭での鉄則は、『お客とガチな恋はしない』というものでした。
なぜなら、彼女たちは見世に借金があったからです。それを返すまでは、郭の外には出られません。
もしも本気で恋をして駆け落ちや心中などをされると見世は大いに困ります。なので、色んな掟を作りました。
全ては作り事、だからこそ、最高に楽しく艶っぽい一夜をと、双方が頑張ります。
お客は、見世側が提示する色んなルールや作法などを頑張って乗り越え、かなりの大金を払って一夜を過ごすわけですから、そりゃあもう気合い入りまくり、カッコつけまくりという状況です。
お客側は、相手がプロであることや、お座敷の中での出来事が全部『作り事』であるということをもちろん心得ていますが、そこはホラ!やっぱ、カワイー子の一番になりたくなっちゃうじゃないですか!だって一晩一緒に過ごすんだもの!
『仕事とか関係ないです。好きになっちゃいました…』とか、『べ、別に、本気になったとか、そんなんじゃないんだからねっ///』とか、そういう関係になりたくなるわけで、心理的な駆け引きをしたり、プレゼント攻撃をしたり、とにかく通い詰めたりするわけですね。
そういう時間の中で、お互いに本気になっちゃうカップルもおりまして、遊女の借金がなくなり、晴れて夫婦に!なんていう人々もいたかと思いますが、そういうハッピーエンドな感じはそんなに多くなかったと思います。
本当に好きな人がいるのに、別の男性と一夜を過ごさなければならない女性の感情や、好きな子を郭から連れ出したくても連れ出せない男性の感情を考えると、溜息が落ちてしまいますねぇ。

そんな複雑で濃密な時間が吉原の中には流れており、互いの意地やプライド、見栄や悲しみ、苦しみ、心意気が大輪の牡丹や藤の花のように咲き乱れました。
売れっ子遊女たちの服装や髪型、化粧法などが流行したりもしたようです。今でいう、芸能人やモデルさんのような立ち位置ですかねぇ。
もちろん、男性たちも、めいっぱい見栄を張り合ったに違いありません。
ファッションはもちろんのこと、仕草や振る舞い、髪型、好きな音楽や趣味に至るまで、あれやこれやと自分を磨く人々もいたと思います。
(好きな子や気になる子の前で、つい見栄を張って大人っぽい映画の話をしちゃうとか、趣味の話題をとことん復習しとくとか、そういう気持ちだったと思うのです)
吉原から生まれた文化が、江戸の文化の繁栄に一役買ったことは言い過ぎではないかと思います。


今回は、そんな世界に視点を定めてみました。
また、今回は郭言葉の他にもうひとつ、江戸時代後期から明治時代にかけて大流行した俗曲、『都々逸(どどいつ)』をちりばめています。これは、元々は三味線と共にお座敷内で披露されるものでした。『七・七・七・五』の音数律をベースに、男女の色恋をテーマにしたものが数多く作られました。
どこにその都々逸が入っているのかは以下でお話ししたいと思います。

便宜上、以下に歌詞の全文を掲載し、その次に細かな言葉の解説、そして最後に、歌詞の意訳を掲載します。
ですが、先述の通り、全体的な意味としては原曲の歌詞の通りです。






『和楽花道中 杵家七三社中 傑作撰~ボカロ曲を演奏して戴いた~』収録
【和楽・いろは唄(振り仮名付き)】歌詞




アナタガ望マルヽ(のぞまるる)ナラ
犬ノヤウニ(ように)膝突キテ
紐ニ縄ニ呪ヒ(まじない)ニ
縛ラレテアゲンセウ(あげんしょう)

アルイハ子猫ノヤウニ(ように)
愛クロシキアナタヲ
指デ足デ唇デ
悦バセテアゲンセウ(あげんしょう)

どちらが先に 溺れたなどと
言ふ(う)ことも 無駄にござんす

色は匂へど(におえど) 散りぬるを
我が世誰(たれ)ぞ 常ならむ(ん)
発きんせう(あばきんしょう) もつともつと(もっともっと)向かう(むこう)まで

有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひ(よい)もせず
染まりんせう(そまりんしょう) あなたの色
ハニホヘトチリヌルヲ


例ヘバ(たとえば)椿ノヤウニ(ように)
三冬(みふゆ)ニ咲ケト乞フ(こう)ナラ
雪ニ霜ニ躰ヲ
晒シテ生キンセウ(いきんしょう)

アルイハ薔薇散ル様ヲ
見タイトオツセエスナラ(おっせえすなら)
首ニ髪ニ香リヲ
纏ハセテ(まとわせて)逝キンセウ(いきんしょう)

鳴かぬ蛍が 身を焦がしても
それだけぢや(じゃ) 足りぬ狂い獅子

色は匂へど(におえど) 散りぬるを
我が世誰(たれ)ぞ 常ならむ(ん)
発きんせう(あばきんしょう) もつともつと(もっともっと)向かう(むこう)まで

有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひ(よい)もせず
やつしんせう(やつしんしょう) 恋に焦がれて
アヽ(ああ)

惚れて通えど 散りぬるを
我が身誰(たれ)ぞ 常ならむ(ん)
発きんせう(あばきんしょう) コレサコレサ深くまで

見返り柳 今日越えて
鴉を殺し 酔ひ(よい)もせず
堕ちんせう(おちんしょう) わつち(わっち)と
イロハニホヘト アクマデモ






【歌詞の内容についての解説】


アナタ
通常、遊女がお客さんを呼ぶ時は「主様(ぬしさま)」と言ったりするのですが、ここは敢えて『アナタ』のままにしました。

膝突キテ
『膝を突く』という慣用句で、意味は【倒れ込んだりして膝を地面や床に着ける。また、敬意を表してひざまずく】というものです。原曲の『従順』という言葉から導きました。

呪ヒ
自由の利かない遊女たちは、様々なおまじないを考え出しました。
『好きな人が浮気をしないように』や『会いたい人に会えるように』などなど。
また、それとは別に、恋する相手に対して『心だけはあなたのもの』という思いを伝えるために、腕に『○○様命』というような刺青を彫ったり、自分の髪を相手に切らせて渡したりもしました。もっと凄い人は自分の指を切って渡したり。(これもうヤンデレの域っすね。)
これらは、遊女が進んでやることもあれば、客に強いられることもあったようです。
原曲の『鎖』を、上記の『まじない』に当て嵌めてみました。

愛クロシキ
『愛くるしい』の転。近松門左衛門の作品にも見られる表現なので使用しました。

発きんせう
『暴く』と同じ意味です。こちらの表記の方が古めかしいので、こちらを使用しています。

酔ひもせず
通常、『いろは歌』の場合は『えいもせず』という読みになりますが、こちらは原曲で『よいもせず』と読んでいるのでその通りにしています。

三冬ニ咲ケト乞フナラ
椿の花について調べた時に、この花は冬に咲くものと春に咲くものがあると知りました。
この曲の中では冬に咲く早咲きの椿のことを言っているのだろうと思ったので、季節を特定する言葉を入れて、より季節感を出せたらと思いました。
『三冬』は【冬の3か月。陰暦10月・11月・12月】という意味です。

オツセエス
これは『おっせえす』と読みます。
郭言葉で『おっしゃる』という意味です。敬語ですねぇ。

鳴かぬ蛍が 身を焦がしても
こちらには、
恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
という都々逸を入れ込んでいます。ご存知の方も多いでしょうか。

それだけぢや 足りぬ狂い獅子
こちらには、
金の屏風に墨絵の牡丹 中に二人の狂い獅子
という都々逸を入れ込んでいます。これ、解説すんの野暮、ですよねえ(笑)
ですが、えーと、江戸時代初心者様向けガイドをちょっと書くと、吉原のお座敷の、お布団が敷いてあるとこにね、屏風があるんですよ。で、そこには絵が描いてあるわけですけども、その中に描かれている獅子と、遊女と客との関係を重ねているのだと思います。
……Twitterで、杏ノ助が、『いろは唄の歌詞かなりドッキン恋だよ!』って言っていた意味が伝わったかなと思います(笑)

やつしんせう 恋に焦がれて
『やつしんしょう 恋に焦がれて』と読む箇所ですが、この『やつす』は、『窶す』とも書き、【やせるほど思い込む。顔形が変わるほど、一つのことに夢中になる】という意味を持っています。
そして、解説を順に読んで下さった方はお分かりかと思いますが、『恋に焦がれて』は、先ほどの『恋に焦がれて鳴く蝉よりも』の都々逸を再度引用しています。
『作り事』の世界の中での駆け引きのはずが、どんどん本気になってしまう心情を表現したいなと思いました。

惚れて通えど 散りぬるを
こちらには、
惚れて通えば千里も一里 逢わずに帰ればまた千里
という都々逸を入れ込んでいます。この都々逸は『逢わで戻ればまた千里』など、ちょっと違う言い方で伝わったりもしているようですが、綾部はこの言い方が好きなので、こちらでご紹介します。
その都々逸と、『いろは歌』を組み合わせました。
『いろは歌』の細かな品詞分解は割愛しますが、それぞれの元の言葉を踏まえた上で読んでいただくと、『惚れて通えど』と『散りぬるを』の間に『恋の花の色』というものが入れられるかと思います。
この部分をどのような現代語訳(意訳)にしたかは、ぜひ下でご確認ください〜。

我が身誰ぞ 常ならむ
この箇所の元の言葉は『我が世誰ぞ 常ならむ』となります。
『我が世』は『私の世』という意味ですが、『(私が存在している)世の中』という意味になるのだと思います。
この箇所の文法や意味などは解釈が分かれるようですが、私は『我が世誰ぞ 常ならむ』を、
『世の中の誰が常と変わらずにいられるだろうか、そんな人は誰ひとりいない=みんな移り変わっていく』
というように解釈しています。なので、『我が世』を『我が身』にしたことで、
『私たちのこの身は、常と変わらずにいられるだろうか、そんな人は誰ひとりいない=容姿は必ず衰える』
というような意味に解釈して頂けたらと思いました。

コレサコレサ深くまで
これは、分かる人には分かる!かなりギリギリっぽい表現のひとつです(笑)
今回、このお仕事をさせて頂くにあたり、吉原に関する資料を色々と読み、その中でも、取り分けww美人絵と春画を見ました。
春画とは、まぁ、あれです、pixivでいうところの、R18タグが付けられる絵なんですけども。
そこに、漫画のように台詞とかが描かれてるんですが、その台詞をイメージしました。
この『コレサ』は、通常(笑)ですと、『ねえ』とか、『ちょっと』っていう感じの、呼びかけの言葉です(笑)
ってこの解説大丈夫かなー?!ダメなら変えます!スイマセン!!(笑)

見返り柳 今日越えて
この『見返り柳』は、吉原のメインエントランスである『吉原大門』を出たところに立っている柳の木のことです。
現在も台東区千束4丁目に、何代目かの見返り柳さんが立っているようです。
なぜ『見返り柳』と呼ぶかと言うと、その柳の辺りで、吉原で遊んだお客さんが「あーあ…、楽しい時間はあっと言う間だったな…」とか、「次はいつあの子に逢えるだろうか」なんて思って後ろを振り返ったからだそうです。ナルホドネー。
『今日越えて』は、『いろは歌』だと、『有為の奥山(※無常のこの世の中を、道もなく越すに越されぬ深山にたとえた言葉)』を『今日越えて』ということになります。
今回は、『見返り柳』を越えてもらいました。『帰る時にも、来る時にも柳を越える』ということで、『吉原へ通う』という意味にも取って頂けたらと思います。

鴉を殺し 酔ひもせず
こちらには、
三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい
という都々逸を入れ込んでいます。これは、ご存知の方、多いでしょうか。都々逸の中で一番人気かな?なんて思ってます。
『夜明けを告げる鴉がいなければ、ずっと朝はやってこない。朝が来なければいいのに。あなたとずっと一緒にいたい。でもそれは、無理な話なんだよなぁ』っていう気持ちが込められた都々逸ですねぇ。ちなみに『三千世界』は、【仏教の世界観による広大無辺の世界】だそうです。
続く『酔ひもせず』は、『酔っぱらうこともない』という意味の文章なので、前後を繋げると、『(三千世界の)鴉を殺して、酔っぱらうこともない』という意味になるのですが、この『酔う』は、単に『酒に酔う』の『酔う』ではなく、『何かに気持ちを傾ける』とか『惑う』とか…、『心を惑わす』とか、そういう意味にも解釈できるかと思います。(もちろん、『いろは歌』の『浅き夢見じ』が前提にある上での解釈です)
以上を踏まえると、意訳としては『(夜明けを告げる)三千世界の鴉を殺しても、酔うことはない』というような感じに受け取れるかと思います。更にもう少し補足した感じの意訳は以下にありますので、ご覧頂けたら嬉しいです。

わつちと
『わっち』と読みます。これは、遊女の一人称のひとつです。






以上が、歌詞の大まかな解説です。
様々に解釈の分かれる、暗号とも呼ばれている『いろは歌』の解釈を定めることが、最も大きな作業だった気もしています。
今回、時代を江戸時代と決め、江戸時代の作品に改めて触れてみましたが、江戸っ子って、なんだかみんな、あっけらかんと虚無的なんですよね。
たとえば、江戸っ子が重んじていたものとして『火事と喧嘩』がありますが、どちらも一瞬にして燃え盛って、鎮火した後はどこか虚しい。
『宵越しの銭は持たない』なんて言葉も残っていて、そこからは「明日?あー、来るとは思ってるけど、来なくてもいいように、今日を楽しんだ方がよくね?」みたいなメッセージを感じます。


そんなことも含めての文語調訳でした。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
最後に、文語調に訳した歌詞の現代語訳(意訳)を掲載して解説を終わりたいと思います。






【文語調に訳した歌詞の現代語訳(意訳)】


あなたが望まれるのならば
犬のように畳に膝を突いて、
紐に、縄に、呪術にさえ縛られて差し上げましょう。

あるいは子猫のように
愛くるしいあなたを、
指で、足で、唇で、
悦ばせて差し上げましょう。

どちらが先に惚れ込んだかなんて、
言うことも無駄でございます。

花は匂い立つように咲くけれど散ってしまう。
一体、この世に生きる誰が変わらずにいられましょうか。
ですから、さあ、私たちのことを暴きましょう。
もっともっと、向こう側を抉じ開けるように、覗き見るように。

出口の分からない深山のような無常の世の、今日一日を生きる、その中で、
夢など見ないし、ましてや、自制心を失うこともありやしません。
染まりましょう、手練手管であなたの色に。
匂うように咲く花も、どうせ散ってしまうのだから。


例えば早咲きの椿のように、
冬のさなかに咲くことを求められるのならば、
雪にでも霜にでも、
この身を晒して生きましょう。

あるいは、薔薇が散る様を見たいとおっしゃるのならば、
首に、髪に、香りを纏わせて逝きましょう。

恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす。
部屋の調度を眺めてみれば、金の屏風に墨絵の牡丹、中に二人の狂い獅子。
蛍のようにこの身を焦がし続けても、それだけじゃあ、もう、物足りないの。

花は匂い立つように咲くけれど散ってしまう。
一体、この世に生きる誰が変わらずにいられましょうか。
ですから、さあ、私たちのことを暴きましょう。
もっともっと、向こう側を抉じ開けるように、覗き見るように。

出口の分からない深山のような無常の世の、今日一日を生きる、その中で、
夢など見ないし、ましてや、自制心を失うこともありやしません。
アヽ、手練手管と知っていながら、恋に焦がれて面やつれ。


誰かに心底惚れて、この吉原に通ったとて、いずれ恋の花は散ってしまうと言うのに。
この世の中で、衰えない容姿などありましょうか。
ですから、さあ、私たちのことを暴きましょう。
夜の帳を下ろして、屏風の陰で、極彩色の布団の上で。

大門の前にある見返り柳を今日も越えて、またこの世界へとやって来ても、
夜明けを告げる三千世界の鴉を殺し尽くしても、どこかで夢が覚めることを知っている。
ですから、堕ちてしまいましょうよ、ねえ、この私と。
恋の花は匂い立つように咲くけれど、終わりを知ってはいるけれど、
あなたとわたしの二人きりで、どこまでも。






最後に、ご本家様の動画をご紹介して終わりたいと思います。
ありがとうございました。










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「悪ノ召使」文語調歌詞解説|歌詞文語訳・文担当:綾部ふゆ

Posted by 芙雪(綾部ふゆ) on   0 trackback

 




本日、ニコニコ動画に新作動画がUPされました!
鏡音レンくんの名曲「悪ノ召使」、クラシカルアレンジ・文語歌詞バージョンです。
御本家様の世界観の悲しさや美しさ、潔さに惚れ、
更に、今回使用させて頂いたアニメーションとクラシカルアレンジに感激して、
各P様から許可を頂きつつ、杏ノ助と少しずつ、かつダイタンに!進めていった企画でした。

今回は、全体的にヨーロッパのお伽噺のようなイメージの曲でしたので、
歌詞も、明治~昭和初期のような、近代的な文語を目指しました。
当時、海外からやってきた童話や詩集などを翻訳した文語のものがありますよね。
あんなイメージです。
(具体的に言うと、大正時代の児童向け雑誌「赤い鳥」のイメージだったりします。「はいからさん」の時代の子供達が読んでた絵本や雑誌のイメージです~)
と、言うことで、今回は、主に大好きな西条八十先生の詩集を参考にして、時代考証を行っています。

更に、初の試みとして、声優兼役者の友人・亀田理紗ちゃんに語りを入れて貰いました。
冒頭の言葉は「主の祈り」を抜粋しました。
キリスト教的な思想が織り成す複雑な世界観を、動画に凝縮したつもりです。


さてさて!それでは、
\毎度恒例、綾部の文語歌詞解説がはじまりますよーッ!/
今回は、兎に角原曲の意を損ねないように注意して訳しましたので、
解説なしでご覧になっても意味が直ぐにお分かりになると思います。
なので、先ずは歌詞と語りの文を全文掲載し、
一応、ココこだわってますよ!という部分をちょこっとご紹介して、
最後に、文語訳した歌詞を意訳したものを載せてみようと思います。
今回は意訳は不要かなーと思ったのですが、
文語訳も直訳(逐語訳)ではないので、敢えて載せてみます。

宜しくお付き合い下さいませー!






「悪ノ召使」文語調歌詞


天にまします我らの父よ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦し給へ
我らを試みに遭はせず悪より救ひ出だし給へ
國と力と榮えとは限りなく汝のものなればなり



汝は王女 我は召使
定め分かちし あはれなる雙子
汝を守る その為ならば
我は惡にさへ成りゆかむ


むかしむかし、あるところに、齢十四にして国を統べる王女になった娘がおりました。
娘には、顔のよく似た弟がおりましたが、
幼い頃に生き別れ、別々の道を歩むことを余儀なくされました。

大人達の思惑によって、娘は、可憐な独裁者へと育て上げられたのです。



祈りの中我らは生まれぬ
祝福するは鐘樓(しょうろう)の鐘
大人達の思惑どほり
我らの未來は二つになれり

たとへ世界の總てが
汝の敵(てき)に變じようとも
我が汝を守るから
汝は其處で笑ひ給へ

汝は王女 我は召使
定め分かちし あはれなる雙子
汝を守る その為ならば
ああゝ惡にさへ成りゆかむ

異國を尋ねし折りに見し
翡翠の髪の優美な彼女
その優しげな聲と笑顔に
一目で我の心亂るる

されど王女が彼女のこと
“肉骸(むくろ)にせばや”と願ふなら
我はそれに應へよう
なにゆゑ涙の流れたる

汝は王女 我は召使
定め分かちし 狂ほしき雙子
「けふの御菓子はブリオツシユです」
汝は笑ふ 無邪氣なまでに

もうすぐこの國は終はるだらう
怒れる國民達の手で
これも因果だと言ふのならば
我は敢へてそれに背かむ

「わたくしの服をお召し下さい」
「召したまま疾く異郷の地へ」
“我らの罪をも赦し給へ”
“惡より救ひ出だし給へ”

(──AMEN.)

我は王女 汝は逃亡者
定め分かちし 悲しき雙子
汝を惡だと言ふならば
我とて血を分けし姉弟ぞ

むかしむかしあるところに
惡逆無道(あくぎゃくぶどう)の王國の
頂(いただき)より睥睨(へいげい)せしは
いとど愛しき我の姉君

たとへ世界の總てが(つひにその時はやつてきた)
汝の敵(てき)に變じようとも(終はりを告げし鐘の鳴る)
我が汝を守るから(民衆などには目もくれず)
汝はどこかで笑ひ給へ(君は妾(わらわ)の口癖を言ふ)


二人がこの世に生まれ落ちたのは、
神の悪戯なのでしょうか。
……いいえ、天にまします我らの父が、
そのような気紛れを起こされるはずがございません。

きっと、これは、我らの父がお与えになった試練なのでしょう。

「悪逆の王女」と怖れられている姉と、
王女を守るために、召使いとなった弟。
二人の悲しく狂おしい物語は、これにて──。







【歌詞の解説】


語りと歌詞が、それぞれ口語と文語なのはナゼ?
明治に「言文一致運動」が行われるまでは、話し言葉と書き言葉が大きく違うということを踏まえてみました。
文語は、平安時代に完成したと言える言葉遣いで、皆さんもお馴染みの「悪より救ひ出だし給へ」というような、
今の言葉とはちょっと違う文法で書かれる言葉ですね。
今では不思議なカンジもしますが、明治時代までは、話し言葉と書き言葉が違う文法だったのです。
なので、今回はそれをイメージしてみました。
亀ちゃんの語りのテロップを動画の中に入れなかったのは、こういう理由からです。

我は惡にさへ成りゆかむ
「成りゆく」は「次第にある状態に移っていく」という意味の言葉だそうです。
原曲では「なってやる」という歌詞ですが、
レンくんの決意の確かさや時間の流れも込められたらと思い、
「直ぐに悪になる」というようなニュアンスではなく、
次第に移り変わっていく、というような言葉を選びました。

我らは生まれぬ
パッと見聞きすると、「私たちは生まれない!」という、打ち消しの言葉のように感じますが、
この「ぬ」は、完了の助動詞の終止形です。
『源氏物語(桐壺)』の「世になく清らなる玉の男御子さえ、生まれ給ひ『ぬ』」と同じ用法で使用してます。
ざっくり言うと、「生まれてしまった」というかんじでしょうか。

祝福するは鐘樓の鐘
「鐘楼」という言葉から、近代的な雰囲気を感じ取ってもらえればと思い採用しました。

肉骸にせばや
この「肉骸」という言葉は、八十さんの詩集に度々登場する単語でして、
八十さんの造語かもしれませんし、当時は共通の言葉として成立していたものかもしれません。
アイマイで申し訳ないのですが、なんにせよ、非常に生々しい感じがして気に入っています。

「けふの御菓子はブリオツシユです」
ホラ…、「目からブリオッシュ」って言うタグがさ…好きでさ…(チラッ チラッ
と言う冗談はさておき。
冒頭の通り、今回のイメージが、
「西洋の御伽話を翻訳したもの」ですので、
敢えて単語をそのままにしています。
横文字の言葉と歴史的仮名遣いが合わさった際の、
不思議な魅力に少しでも触れて頂けたなら嬉しいです。

「わたくしの服をお召し下さい」
「召したまま疾く異郷の地へ」
“我らの罪をも赦し給へ”
“惡より救ひ出だし給へ”

最大の見せ場に、敢えて「主の祈り」を入れたのは、
この曲の表題でもある「悪」とはなんだろう?という思いからでした。
この物語の世界は、厳密に言えばキリスト教的な世界とは別かもしれませんが、
仮にそうだとした時に、
王女にとっての悪、
召使にとっての悪、
姉と弟にとっての悪、
大人達や民衆にとっての悪、
これらは全て、違うものだと思うんです。
でも、これらの「悪」にそれぞれが立ち向かおうとした時に、
縋ったりするのが、ただひとつの「神」というところに、
私はなんだか、とっても複雑な思いを抱きました。
一神教を否定している訳ではありませんが、
「それって、人々にとってどういうことなんだろう」
という問いを、この動画を通して伝えてみたかった思いがあります。

悪逆無道
「悪逆非道」の類義語です。
そのままでも良かったのですが、文語萌え根性を丸出しにしてみました。
少なくとも鎌倉時代にはあった言葉なので使用しています。

いとど愛しき
「いとど」は、「いとをかし」の「いと」が重なったものです。
なので、「もんのッすっごく愛おしい!」という意味になります。
杏ノ助も、ここはぐっと気持ちを込めて歌ってくれています。






【「悪ノ召使」文語歌詞の意訳】


君は王女 僕は召使
あわれな運命を背負った双子
君を守る その為ならば
僕は時間をかけて、確実に、確かに、悪に成りゆこう


祈りの中僕らは生まれてしまった
祝福するのは、鐘楼の鐘の音
大人達の思惑通り
僕らの未来は二つに分かれてしまった

たとえ世界の全てが
君の敵に変わることがあるとしても
僕が君を守るから
君はそこで、どうぞ笑っていて

君は王女 僕は召使
あわれな運命を背負った双子
君を守る その為ならば
ああ、僕は、時間をかけて、確実に、確かに、悪に成りゆこう


外国を訪れた時に見た
翡翠色の髪の、美しくて上品なあの子
その優しげな声と笑顔に
一目で僕は恋に落ちた

でも、王女が彼女のことを
“亡き者にしたい”と願うなら、
僕はそれに応えよう
どうして、涙が零れるのだろう?

君は王女 僕は召使
狂おしい運命を背負った双子
「今日のお菓子はブリオッシュです」
そう言うと、
君は笑うんだ。とても無邪気に


もうすぐこの国は終わるだろう
怒れる国民達の手によって
これも悪行の報いだと言うのなら、
僕は敢えて、それに背こう

「わたくしの服をお召し下さい」
「召したまま、一刻も早く遠い土地へ」
“我らの罪をも赦し給え”
“悪より救い出だし給え”


(──AMEN.)


僕は王女 君は逃亡者
悲しい運命を背負った双子
君を悪だと言うのなら、
血を分けた弟の僕だって、悪なんだ。


むかしむかし、あるところに
悪逆の限りを尽くした王国の、
頂点から天下を睨んでいたのは、
とても、とても愛おしい、僕の姉君。


たとえ世界の全てが
(ついにその時はやってきた)
君の敵に変わることがあるとしても
(終わりを告げる鐘が鳴っている)
僕が君を守るから
(民衆などには目もくれず)
君はどこかで、どうぞ笑っていて
(君はわたくしの口癖を言う)






以上です。
最後までお読み下さりありがとうございました!

ちなみに、今回語りを担当してくれた「友達の亀ちゃん」こと亀田理紗ちゃんは、
声優さんとして活動されてます。
それと同時に、声優のイトケンさんこと伊藤健太郎さん主催の劇団K-Showに所属し、
役者としても活動されてますー。
是非Twitter、ブログへどうぞ!亀ちゃん、今日もええ声やでー!

>>亀ちゃんのTwitterとBLOG「Turtle Days」<<

そして最後に、ご本家様の動画をご紹介して終わりたいと思います。
ありがとうございました。






萬月邸 綾部ふゆ


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